先日、友人と話をしているとき、こんな話題になった。
英語を母語とする人と英語で話すのは、意外と話しやすい。ところが、日本人同士で英語を話そうとすると、急に恥ずかしくなる。
本当に、その通りだと思った。
ネイティブの人を前にすれば、「相手は英語のプロ、こちらはまだ練習中」という、ある種の甘えが許される。文法を間違えても、単語が出てこなくても、まあ仕方がないと思える。
相手も、こちらが英語を母語としていないことを知っている。少しくらい不自然でも、きっと汲み取ってくれる。
ところが、相手が日本人になると事情が変わる。
間違えたらどう思われるだろう。発音を気取っていると思われないだろうか。日本語で話せば早いのに、なぜわざわざ英語なのか。
そんな声が、実際には誰も何も言っていないのに、頭の中から聞こえてくる。
英語よりも、こちらの声のほうが流暢である。
コロナ禍の前、僕は日本人同士であえて英語を話す会を、よく開いていた。
名前は「英語で居酒屋ナイト」。
少しだけお酒を楽しみながら、できるだけ英語で会話をする。英語の勉強会というより、英語を使って遊んでみる場だった。
コロナ禍に入ってからも、Zoomを使って続けた。画面越しに飲み物を手にして話すのは、居酒屋というより、それぞれの自宅の一角だったけれど、それでも英語で話す時間はつくれた。
この会を始めるとき、いつも最初に三つのことを確認していた。
“Enjoy making mistakes!”
“Be proud of your English!”
そして、“Speak in a loud voice.”
- 間違えることを楽しもう。
- 自分の英語に誇りを持とう。
- そして、大きな声で話そう。
どれも単純な言葉だが、日本人同士で英語を話すときには、かなり大事なことなのだと思う。
特に二つ目の “Be proud of your English!” は、簡単なようで難しい。
僕たちは、つい自分の英語を減点方式で見てしまう。発音が違う。単語が足りない。文法を間違えた。もっと上手な人がいる。
それでも、その英語は、自分が時間をかけて覚え、使おうとしている英語である。完璧ではなくても、恥ずかしがる必要まではないのかもしれない。
僕も偉そうに書いているが、日本人の友人を前にすると、急に発音が控えめになることがある。英語にも遠慮というものがあるらしい。
そして三つ目の “Speak in a loud voice.”
これは英語力以前の話である。
どれほど正しい文法を使っても、声が小さければ相手には届かない。日本語でも英語でも同じだ。
自信がないから声が小さくなる。声が小さいから相手に聞き返される。聞き返されると、さらに自信がなくなる。
なかなか見事な悪循環である。
逆に、少しくらい間違っていても、はっきりした声で話すと、意外と会話は前に進む。言葉には、正しさだけでなく、相手に届けようとする力も必要なのだろう。
最近、英語で居酒屋ナイトを、また小さく始めてみたいと思っている。
大きなイベントでなくてもいい。数人で集まり、少し飲みながら、間違いを気にせず英語で話す。
最初の十分くらいは、きっと皆、少しぎこちない。
そのうち日本語が混じるかもしれない。僕自身が最初に日本語へ逃げる可能性も、かなりある。
それでもいいのだと思う。
英語を話す勇気は、英語が上達してから突然手に入るものではない。恥ずかしいまま、少し声を出してみることで、ゆっくり育っていくものなのかもしれない。
“Enjoy making mistakes!”
そう言いながら、まずは僕自身が間違えるところから始めようと思っている。
※ここまで少し偉そうに書きましたが、日本人を前にして英語の声が小さくなる僕自身へのメモでもあります。
※僕ノートなので、ここでは「私」を「僕」で表記しています。お許し下さい。